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安洞雅彦 美濃御深井焼 向付(みのおふけやきむこうづけ)
織部焼は日本陶磁史上最も華やかな時代を代表する陶器のひとつ。安洞氏は桃山時代の織部にこだわり、再現に心魂を傾け続けています。安洞氏の手によって、織部焼のユニークで斬新なデザインが引き出されています。
現在、豆向付だけで700種以上の作品数を持ってます。
他、レギュラーサイズの向付、茶道具、お皿なども作成しています。
御深井焼(おふけやき)について
御深井焼は名古屋城の初代藩主・徳川義直により寛永年間(1624~1644)から2代藩主光友の時代(1650~1700)の頃に開窯されたと言われています。
御深井焼は現在の愛知県名古屋市、名古屋城内にあった尾張徳川家の御用窯およびその窯で焼かれた陶磁器。名古屋城の御深井丸にあったとされることから御深井焼と呼ばれるようになったのが由来。
当時、美濃窯や瀬戸窯で使い始められた灰釉を用いた陶磁器を焼くために、美濃の陶工を集め、尾張藩が焼き物を作らせ藩の産業としていたそうです。
御深井焼に使われる御深井釉は灰釉系の釉薬、長石に灰を混ぜ、焼成中に釉薬に含まれる鉄分により淡い緑色や黄緑色に発色します。 青磁に近い特徴の為美濃青磁とも呼ばれます。 ガラス質が厚く、釉溜まりは濃い緑色細かな貫入が入るのが特徴的です。
陶歴
1973年 名古屋生まれ
2002年 独学でやきものを始める
2004年 瀬戸市に工房を移す
2007年 多治見市に工房を移す
2009年 薪窯築窯
2019年 上海で個展
柿傅ギャラリーで個展
骨董・古美術の情報に特化し、骨董・古美術ジャンルでは最も多くの人に読まれている雑誌、『目の眼』 2月号織部特集に掲載、古美術愛好会にて、講演。
近年、炎芸術、淡交テキストや月刊なごみに掲載されるなど茶人からも注目を集めています。
「へうげもの」にも多数登場する向附を細部まで拘り、手のひらサイズにミニチュア化した「豆向付」は数百種類と驚く数の型を作陶しています。
到着時不備があった場合は商品到着後1週間以内にご連絡下さい。
なお、商品到着後1週間を超えてのご連絡の場合、原則としてお取替えに応じられませんのでご了承ください。
お客様の理由(ご注文間違い、思っていたものと違う等)によるご返品・交換は承れません。
縦13.5cm横16.0cm
高さ3.0㎝
no339
現在、豆向付だけで700種以上の作品数を持ってます。
他、レギュラーサイズの向付、茶道具、お皿なども作成しています。
御深井焼(おふけやき)について
御深井焼は名古屋城の初代藩主・徳川義直により寛永年間(1624~1644)から2代藩主光友の時代(1650~1700)の頃に開窯されたと言われています。
御深井焼は現在の愛知県名古屋市、名古屋城内にあった尾張徳川家の御用窯およびその窯で焼かれた陶磁器。名古屋城の御深井丸にあったとされることから御深井焼と呼ばれるようになったのが由来。
当時、美濃窯や瀬戸窯で使い始められた灰釉を用いた陶磁器を焼くために、美濃の陶工を集め、尾張藩が焼き物を作らせ藩の産業としていたそうです。
御深井焼に使われる御深井釉は灰釉系の釉薬、長石に灰を混ぜ、焼成中に釉薬に含まれる鉄分により淡い緑色や黄緑色に発色します。 青磁に近い特徴の為美濃青磁とも呼ばれます。 ガラス質が厚く、釉溜まりは濃い緑色細かな貫入が入るのが特徴的です。
陶歴
1973年 名古屋生まれ
2002年 独学でやきものを始める
2004年 瀬戸市に工房を移す
2007年 多治見市に工房を移す
2009年 薪窯築窯
2019年 上海で個展
柿傅ギャラリーで個展
骨董・古美術の情報に特化し、骨董・古美術ジャンルでは最も多くの人に読まれている雑誌、『目の眼』 2月号織部特集に掲載、古美術愛好会にて、講演。
近年、炎芸術、淡交テキストや月刊なごみに掲載されるなど茶人からも注目を集めています。
「へうげもの」にも多数登場する向附を細部まで拘り、手のひらサイズにミニチュア化した「豆向付」は数百種類と驚く数の型を作陶しています。
到着時不備があった場合は商品到着後1週間以内にご連絡下さい。
なお、商品到着後1週間を超えてのご連絡の場合、原則としてお取替えに応じられませんのでご了承ください。
お客様の理由(ご注文間違い、思っていたものと違う等)によるご返品・交換は承れません。
縦13.5cm横16.0cm
高さ3.0㎝
no339
